本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

ed75が担当したお召し列車の記録とその軌跡。

 

 

引用先 https://ameblo.jp/cavacho/entry-12474230243.html

 


ed75昭和天皇がご成婚60年の時にお召し列車を担当しましたが、それ以外にもお召し列車を担当することがありました。

 

 

 

ed75がお召担当した理由はed71が使えなかったから。

 

 

 


引用先 https://blog.goo.ne.jp/ak7193907/e/9226c28febf3c7539927960e78f81bc3

 

ed75お召し列車を担当した理由は、その前はed71が重連で担当していましたが、初期に作られた交流機は信頼性の面で乏しかったことがありました。

 

そうしたこともありed71が担当した東北方面のお召し列車はすべて重連運転でしたが、実際に重連運転お召し列車を担当したed71の写真が国鉄時代Vol.33の45ページの上の方に出てきていますが、この時は秋田国体の帰路で花輪線東北本線経由で運転されたものですが、この写真も今では貴重な資料となりましたが、ed75が登場したことで、東北地方で運転されたお召し列車は単機での運転ができるようになりましたから、それだけed75が安定した性能の機関車でだったという証になります。

 

 

 

ed75が担当したお召は昭和天皇ご成婚60周年が有名。

 

 



引用先 http://ed75.la.coocan.jp/c-board_ed75/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3599;id=


ed75が担当したお召し列車は、昭和天皇がご成婚60周年の時に運転されたお召し列車が特に有名ですが、この時は9月25日原宿を出発するときはロクイチことef5861号機が担当し、黒磯でed75121号機に交代しその日は福島まで運用につきました。

 

そして2日目の9月26日は、ed75121号機とed7712号機が担当しました。

 

最終日の9月27日は、ed7712号機からed75121号機へとリレーして、アンカーef5861号機が担当しましたが、昭和天皇ご成婚60周年に運転されたお召し列車は天候にも恵まれたということもあり、沿線には多くの方が撮影に来ていましたし、磐越西線ではed772度目のお召し列車を担当しただけではなく、磐越西線翁島駅にも停車するということもありましたが、

 

 

翁島駅ですが無人でありますが、これまでに運転されたお召し列車で唯一停車した無人駅でありましたが、これまでに運転されたお召し列車の中では一番輝いたお召し列車ではなかったのでしょうか。

 

 

この時のお召し列車は、国鉄時代Vol.33の巻頭の特集でも取り上げられています。

 

 

 

 

ed75がお召列車を担当したのはいつなのか?

 

 

引用先 https://aucfree.com/items/k410881157

 

ed75ですが、最初にお召し列車を担当したのは、国鉄時代Vol.33の国鉄お召し列車小史の戦後になってから運転されたお召し列車の一覧表によると、1969年の8月に昭和天皇秋田県を巡幸した時に、盛岡と黒磯の間を長町機関区所属のed75101号機が担当しましたが、この時がed75お召し列車を初めて担当した回になります。

 

 

そして翌年の1970年になると5月の福島県で開催された全国植樹祭10月に岩手県で開催されたみちのく国体の時にもed75がお目列車を担当しましたが、10月のみちのく国体の時は長町機関区のed75120号機が担当しました。


ed75が1970年代に担当した最後のお召し列車は1974年岩手県で開催された全国植樹祭の時で、この時は長町機関区のed75120号機、盛岡機関区のed75144号機が担当しましたが、1970年代に東北方面で運転されたお召し列車長町機関区のed75が3度担当したというのも、珍しいケースではないでしょうか。

 

 


ed75のお召は700番台や1000番台も運用に入った。

 



引用先 http://morioji.blog92.fc2.com/blog-entry-438.html?sp


ed75が担当したお召し列車0番台の車両が担当してきましたが、1000番台や700番台の車両もお召し列車を担当したのかというと、1977年の青森県で開催されたあすなろ国体の時に、ed751000番台と700番台が担当しましたが、担当した区間三沢から青森までがed751027号機で、予備機に指定されたのが1001号機と1003号機で、これらの車両はすべて青森機関区に所属していました。

 

そして奥羽本線の青森から浪岡、弘前から青森までが、秋田機関区のed75752号機が担当し、予備機に指定されたのが750号機ですが、ed75が担当したお召し列車で唯一1000番台と700番台が担当したお召し列車でありましたが、

 

 

ed75お召し列車を担当するまでにはそれから7年近く間が空きましたが、東北地方で1965年代から1975年代に運転されたお召し列車で、ed75が担当したのも安定した性能が評価されたから、お召し列車に抜擢されたということでありました。