本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

そもそも機関車デゴイチの戦時型とはどんな車両で最大の特徴は?

 

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引用先 http://www.yamatoclinicmall.com/naika/blog/2011/10/100-1.html

 

機関車デゴイチで一番最後のグループである戦時型とはそもそもどんな車両だったのでしょうか?

 

 

機関車デゴイチの戦時型は落成した当初から無様な姿の車両だった。

 



引用先 https://ameblo.jp/yururunotoki/entry-12518593492.html

 

機関車デゴイチの中で一番最後のグループでもある戦時型については鉄などの資材がない中で作られた車輌ということもあり、

 

戦時色が本当の色濃く出ていた車両になりますが、


機関車デゴイチの戦時型と同じころに作られた車両といえば、

 

電気機関車でしたら凸型で落成したef13が有名でしたし、

 

 

引用先 http://ktymtskz.my.coocan.jp/denki/yayama2.htm


同じミカドと呼ばれる動輪配置のd52も落成した当初は機関車デゴイチの戦時型とほぼ似ていましたが、

 

本当に鉄がない中で作られた車輌だけに外見こそ整っていましたが、

 

それ以外については無様なものでありましたから、

 

この時、

 

戦時型の機関車デゴイチに乗り組んだ乗務員の方達もあまりにも無様な姿に驚いたのではないでしょうか。

 

 

機関車デゴイチの戦時型はいつ作られた車両なのか?

 

引用先 http://pleiades.la.coocan.jp/month/120.html

 

それで機関車デゴイチの戦時型ですがいつ作られた車両のことかというと、


1944年度製造分で番号で見ていきますと、


d51 1001~d51 1160までのグループになりますが、

 

画像は新津時代のd51 1001になりますが、

 

 

引用先 http://www2s.biglobe.ne.jp/~makoto_w/SL/uetud51/d511001.htm

 

機関車デゴイチの中で1000番台のグループについてはすべての車両が戦時型になりますが、


太平洋戦争でいえば、

 

サイパンが陥落してからフィリピンの攻防のころになりますし、

 

日本本土も中国大陸に展開しているアメリカ軍のB29による空爆を受け始めていたころとも重なります。

 

 

 

機関車デゴイチの準戦時型と戦時型はどんなところが違うのか?

 



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引用先 https://www.pinterest.jp/pin/320107486007901808/


それで機関車デゴイチ戦時型ですが準戦時型とはどんなところが違うかというと、

 


・ドーム部分がかまぼこ型であること。

デフレクターが木製であったこと。

・ランニングボードも直線的であったこと。

・除煙板やナンバープレート、
 テンダーの石炭庫側板を木材で代用していたこと。

・煙室前部上方と煙室扉上部の丸みを省略したこと。

・車両によっては給水加熱器が未装備の車両もありました。

・炭水車についても車体の上半分が木製であったこと。

 

この他にも炭水車については船底式で、

 

台車についてはタキ3000などでも使われていたTR41に似たひし形の台車が使われていましたが、

 


引用先 http://d511037.blog.shinobi.jp/%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%97%EF%BC%90%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E5%9B%BD%E9%89%84%E5%86%99%E7%9C%9F%E9%9B%86/%E6%88%A6%E6%99%82%E5%9E%8B%E5%AF%86%E9%96%89%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%96%20%EF%BD%84%EF%BC%95%EF%BC%91%20%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%98%EF%BC%97

 

それこそ鋼材が軍艦などの建造に使われた結果、

 

肝心の鋼材などがない中で作られた車両になりますから、


準戦時型の機関車デゴイチよりもさらに直線的なデザインになってしまったということになります。

 

 

 


機関車デゴイチの戦時型を担当したメーカーはどこなのか?

引用先 http://abekuma.way-nifty.com/blog/2011/07/post-9d25.html

 

じゃあ?機関車デゴイチの戦時型を実際に担当した

メーカーはというと、


日立製作所


三菱重工


川崎車輌


日本車輌製造

 

4つのメーカーになりますが、

 

それでもよく太平洋戦争が終わるまでに発注された車両をすべて落成したというのですから、

 

資材がない中でよく落成することができたものだと思えてなりません。

 


機関車デゴイチの戦時型は戦後どうなったのか?

 


引用先 http://hi3nao.blog43.fc2.com/blog-entry-1455.html


そして太平洋戦争も終結し、

 

戦後になってからですが機関車デゴイチの戦時型についてはというと、

 

準戦時型と同じく戦時型についても修繕工事をうけることになりましたが、

 

その結果はどうなったのかというと、

 

ランニングボードなどについては通常の機関車デゴイチと同じものになりましたし、

 

木製の部品が使われた炭水車やデフレクターについては鋼製の部品に交換したりしましたが、

 

それでも車両によってはあきらかに戦時色が残っていましたし、

 

中にはドーム部分を標準型のデゴイチと同じものにも交換した車両もありましたが、

 

そんな車両でも炭水車に戦時型の特徴を残していたということははっきりと出ていましたが、

 

やっとまともに使える車両になったということになりますが、

 

太平洋戦争が終盤にきて本当に物資不足の中で作られた車両ですから、

 

そんな車両を使って戦時中から戦後しばらく貨物列車などでつかわれていたというのですから、

 

その当時、戦時型の機関車デゴイチに乗務した乗務員の方達も大変だったのではないでしょうか。


機関車デゴイチの戦時型は廃車も多かった。

 

機関車デゴイチ戦時型については廃車になった台数も特に多くて、

 

160台作られた中で、

 

31台が廃車となりましたから全体の2割が戦後になってから整備不良などが原因で廃車となりましたが、

 

そもそも戦時型の機関車デゴイチですが、


戦時中の資材不足の中で作られ、

 

終戦後も酷使されたということですから整備不良で廃車になるのも当然のことですが、

 

その中からさらに25台がC61のボイラーに転用されたというのですから、


その点が唯一機関車デゴイチの戦時型が唯一救われた点ではないでしょうか。

 


機関車デゴイチの戦時型については資材がない中で作られた車両ということもありましたが、

 

それだけ戦争の色が濃く出ていた車輌であったということになります。