引用先 http://ef58.info/tokushu/ginga-4.html
ef58は20系の寝台車が急行に転用されてからも活躍していましたが、なぜ?そうなったのかなどについて振り返りたい思います。
●ef58が20系の寝台急行を担当できた理由。
●ef58が担当した20系で編成された急行といえば銀河。
●ef58が担当した20系の急行には天の川と新星もあった。
●ef58が最後に担当した20系の急行は津軽だった。
●ef58が20系の寝台急行を担当できた理由。
引用先 http://ef58.info/tokushu/ginga-4.html
ef58が20系の寝台車で編成された急行列車を担当できるようになった理由は、20系の寝台車で運転されていた寝台特急つるぎとゆうづるが、24系25型や24系24型に移行関係でカニ21の車内にコンプレッサーを搭載した関係で形式がカヤ21に変更となったことで、これまでP型のef58しか20系の寝台車で編成された列車をけん引することしかできなかったのが、通常のef58でも20系の寝台車をけん引できるようなりました。
その結果、これまで10系の軽量客車で編成されていた寝台急行列車が20系に移行することができましたが、ef58が20系の寝台車で編成された急行を担当できるようになった裏にはカニ21にコンプレッサーが積まれたことが絡んでいました。
●ef58が担当した20系で編成された急行といえば銀河。
引用先 https://toyokeizai.net/articles/photo/715388?pn=21
ef58が最初に担当した20系で編成された急行は、東京と大阪の間で運転されていた急行銀河ですが、急行銀河が20系に変わったのは1976年の2月20日からですが、なぜ?20系に変わったのかというと、大阪と新潟の間で運転されていた寝台特急つるぎが20系から24系25型に移行した関係で、これまで10系の軽量客車で編成されていた急行銀河が20系に変わりましたが、
旧型客車時代の銀河は、オハネフ12、オロネ10、スハネ16×5、オハネ12、スハ16×2、オハネフ12、スハ44、スハフ43という編成になりますが、
引用先 https://shonan1953.sakura.ne.jp/newpage4332.html
担当したのが宮原区で、10系客車時代の銀河も編成美が整った美しい編成で最後部に座席指定のスハ44とスハフ43が連結されていますが、この当時は座席利用者の方もいたということで、急行銀河にも座席車が連結されていましたが、
10系の軽量客車から20系の寝台車に移行する頃の急行銀河を担当したef58も宮原区が担当し、原形大窓の53号機やひさし付きの原形大窓の43号機、小窓の100号機や150号機もいましたから、これらのef58が急行銀河を担当していました。
そして旧型客車時代の最終日の急行銀河の編成は、
・大阪行き
マニ36 オハネフ12、オロネ10、スハネ16×5、オハネ12、スハネ16×2、オハネフ12、スハ44、スハフ43
・東京行き
オハネフ12、オロネ10、スハネ16×3、オハネフ12、スハネ16×3、オハネフ12、スハ44、スハフ42
20系に移行する前の最終日の急行銀河ですが、大阪行きには大宮工場で全般検査が終ったマニ36が連結されています。そして東京に向かう銀河はスハフ42が連結されていますが、この当時の宮原区に残ったスハフ43は1両だけだったということで東京行きの銀河にスハフ42が連結されたということでした。
20系に移行してからの銀河の編成は、カヤ21、ナロネ21、ナハネ20×4、ナハネフ23、ナハネ20×5、ナハネフ23もしくは22ですが、この当時の急行銀河ですが、日銀が所有していた初代のマニ30も現送で東京と大阪の間を往復していました。
ef58がいつまで急行銀河を担当したのかというと、1980年の9月30日で翌日からef65 1000番台の後期型が担当することになりました。
●ef58が担当した20系の急行には天の川と新星もあった。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/5ab4314f0f7ee2376f1720cea63388bd
20系の寝台車で編成された急行には、上野と秋田を白新線経由で運転していた急行天の川と東北本線経由で上野と仙台との間で運転されていた急行新星もありますが、急行天の川と新星が20系の寝台車に変わったのも、寝台特急ゆうづるが24系24型に変わった
ことで、10系の軽量客車から20系の寝台車へと変わりましたが、この辺になると玉突きのように客車が変わりましたが、客車が変わった理由も急行銀河と同じであります。
軽量客車時代の天の川と新星の編成は、
・天の川
オユ10、オハネフ12、オロネ10、スハネ16×3、オハネフ12、オロネ10、スハネ16×3、オハネフ12
・新星
オユ10、オハネフ12、オロネ10、スハネ16×5、オハネフ12
10系の軽量客車時代の天の川と新星は郵便車を連結していたのが、大きなポイントで、天の川は上野と秋田、上野と新潟を結ぶ編成でありました。
10系の軽量客車時代の天の川は高崎第二機関区のef58が、新星は宇都宮機関区のef57と58が共通運用に入っていました。
20系に移行してからの編成は、
・天の川
引用先 http://www.agui.net/tasya/jnr/jnrEF58.html
スユ16、カヤ21、ナロネ21×2、ナハネ20×7、ナハネフ22もしくは23
・新星
引用先 http://moonexpress.blog.jp/archives/250733.html
カヤ21、ナロネ21、ナハネ20×6、ナハネフ22もしくは23
となりましたが、20系に移行してから天の川は引き続き高崎第二機関区のef58が、新星は宇都宮機関区のef57と58が共通運用に入っていましたが、最終的にはef58だけが担当することとなりましたが、1982年の東北新幹線の開業により、急行新星は廃止となりましたが、天の川は1980年になってからef64 1000番台へと機関車が変わりました。
●ef58が最後に担当した20系の急行は津軽だった。
引用先 http://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/2014-13-hm3-par.html
20系の寝台車が最後に編成単位で使われた列車は、急行津軽でしたが、
なぜ?20系の寝台車に移行したかというと、ここにも東北新幹線の開業も絡んでいたということで、これまで10系の寝台車と12系の座席車で運転されていた急行津軽もこれまで急行十和田3、4号で使われていた20系の寝台車が津軽に転用された関係で、急行津軽が20系へ変わりましたが、東北新幹線開業前の急行津軽は4往復運転されており、
1982年の5月の時点では
・津軽1、4号
マニ37、オハネフ12、オロネ10、スハフ12、オハ12×5、スハフ12
・津軽3、2号
オハネフ12×2、オハネフ12、オロネ10、スハフ12、オハ12×5、スハフ12
でありました。
そして10系の寝台車と12系の座席車による最終日の津軽はというと、
・青森行き津軽3号
オハネフ12、スハフ12、オハ12×5、スハフ12
・青森行き津軽2号
オハネフ12、スハフ12、オハ12×5、スハフ12
となり、11月15日からの急行津軽も20系に移行しましたが、その時の編成が次のようになります。
・急行津軽
カヤ21、ナハ21×3、ナハネ20、ナロネ21、ナハネ20×4、ナハネフ22
20系の急行津軽は元急行十和田で使われていた車両が転用された関係で、座席車が3両しかなかったということもあり、1983年の7月1日から14系ハザに変更されましたが、この当時の国鉄も組織自体が硬直化していたというのがはっきりと出ていたということになりますが、
20系の寝台車とef58との組み合わせは絵になる編成であったのも、互いに特急あさかぜ時代からの繋がりがあったからこそ、ef58にとってもふさわしい組み合わせということでありました。