本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

ef58が担当した上越方面に向かう急行列車と担当した機関区はどこか?

 



引用先 https://minkara.carview.co.jp/userid/1988224/blog/45902549/

 

 

ef58が担当した急行は上越線でも運転されていましたが、担当した機関区とどんな列車があったのでしょうか。

 

 

 

 


ef58の上越型が配属されていた機関区。

 

 

 

 

引用先 http://ef58.info/EF58/58keitai/EF58-jouetsu.html


上越線経由急行を担当した機関区は、1975年の時点では高崎第二機関区だけですが、繁忙期のお盆や年末年始になると、臨時の帰省急行列車も運転される関係で、長岡運転所ef58も担当することもありますが、

 

高崎第二や長岡のef58上越型で、運転台にはツララ切りがつき前面窓がHゴムの施工工事を受け、固定式のスノープロウを装備して上越国境越えに挑んでいましたが、その際にはef16が補機としてつきますが、戦後に作られた大型の急客機とデッキ付きの茶色の電気機関車の組み合わせですが、

 

 

 

 

引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/54893

 

上越線経由急行は夜行だったということで、水上駅などでバルブ撮影をしていた方も数多くいましたが、それくらいに越線経由夜行の急行は、撮影する方にも人気がありました。

 

 

 

ef58の上越型が担当した急行。

 

 

 


引用先 http://senronomieruoka.g3.xrea.com/gohachi1.htm


1975年の3月のダイヤ改正以降、上越線経由で運転されていた急行は上野と金沢を結ぶ急行能登と上野と秋田を結ぶ急行鳥海が運転されていましたが、急行能登と鳥海高崎第二機関区ef58が担当していましたが、実際の編成は次のようになります。

 


急行能登

 

 

引用先 http://bunta.starfree.jp/exp.html

 

スニ41、オロネ10、オハネフ12、スハネ16×4、スロ62、オハ47×4、スハフ42

 

 

急行能登金沢運転所の車両が担当していましたが、A寝台車にB寝台車、グリーン車に座席車と予算に応じて選べる編成になっているのが最大の特徴でありました。そうした関係で人気の高い急行列車としても有名でしたし、

 

 

急行能登に連結されているスニ41東京で印刷されたスポーツ新聞などを運ぶ役目も担っていたということで、出発直前まで慌ただしい光景が上野駅で展開していました。

 

急行鳥海

 

 


引用先 https://expechizen.exblog.jp/18211505/

 

スニ41、スニ40、マニ60、スロ62、オロネ10、スハネ16×3、スハ43、オハ×4、スハフ42

 

 

上野と秋田を結ぶ急行鳥海は能登に比べると寝台車の数は少ないですが、それでも上野と秋田を結ぶということで、お盆や年末年始の帰省の頃になると切符も売り切れてしまうというくらいに人気がありましたが、

 

 

急行鳥海秋田運転区の車両が使われていましたが、この当時は夜行の急行列車も運転されており、大きな車両基地には寝台車やグリーン車が当たり前のように配置されていましたから、今考えたら夢みたいな光景が見られたということですし、急行鳥海も東京で印刷スポーツ新聞を運ぶ役目も担当していた関係で、スニ41とスニ40が連結されていましたが、この2両は新津で切り離されます。

 

 


急行能登と鳥海には、日銀が所有していたマニ30現送も行われていた関係でマニ30が連結されることもありました。

 

 

 

ef58の上越型は臨時の帰省急行列車にも使われていた。

 

 

 



引用先 https://ameblo.jp/ef58137/entry-12559299752.html

 


今はお盆や年末年始は新幹線などでの移動がメインでしたが、1975年ころはまだ鉄道が主力でお盆や年末年始には上野駅から東北方面などに多数の臨時の帰省急行列車も運転されていましたが、これらの臨時の帰省急行列車上越型のef58が担当していました。

 

 

実際に担当したケースとして1975年の年末から1976年の1月10日まで、上越線経由臨時急行列車は、行き先は往路は酒田、新潟、復路は酒田、長岡、新潟。使われた客車各地の客車区で波動用として配属されているスハ43系やオハ35系が使われていました。

 

実際に1975年の年末から翌年の76年の年始にかけて上越線経由で運転された帰省臨時急行列車の編成は次のようになります。

 

 

 

1975年の12月28日の鳥海52号

 

ナハフ11、オハ35、ナハ10×2、オハ35、スハ43、オハ35、ナハ11、オハ35×2、オハフ46

 

臨時急行鳥海52号に使われた車両は、水戸区の車両普段は常磐線で使われている車両になります。

 

 

 

1976年の1月2日の信濃川52号

 

オハフ33、オハ35×6、スハフ42


長岡11時05分に出発し、上野には16時28分到着、日中に上越線を通過する臨時の急行列車で、上越型のef58とef16の重連運転が撮影できました。

 


この列車で使われている車両は佐倉区で成田線などで使われている車両になります。

 

 

上越型のef58が担当した臨時の帰省急行列車各地からの客車の寄せ集めになりますが、それでも座って移動できるだけでもありがたいものでありましたが、これも今では昔話の世界となりましたが、あの当時は東京と東北地方などへの移動もお盆や年末年始はとにかく大変だったということでした。