引用先 http://d51791.com/pg22gohati.html
ef58は東京駅から出ていた長距離の急行でも活躍していましたが、どんな列車があったのでしょうか。
●ef58は急行時代の出雲と瀬戸も担当していた。
引用先 http://c59162d51549d51862.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/1972132__d984.html
かつては九州方面の寝台特急が発着していた東京駅ですが、今ではサンライズ出雲と瀬戸だけですが、サンライズ出雲は24系25型や14系14型で運転されていたこともありましたが、出雲も東京駅から出ていた急行として運転されていたこともありましたが、
急行時代の出雲の編成は、
ナハフ11 ナハ11 オハネ12×2 オロネ10 スロフ62 オハネ12 オシ17 オハネ12 オハネフ12
となります。
急行出雲も長距離を走る関係で急行で食堂車を連結していましが、1970年代に運転されていた急行で食堂車を連結していた列車はあまり多くなかったのですが、その一つが急行出雲でしたが、出雲は1972年の3月のダイヤ改正で20系の寝台特急に昇格し、今日に至っています。
出雲と同じく24系25型が使われた寝台特急瀬戸も急行として運転されていましたが、急行時代は東京と岡山との間を往復していましたが、1970年頃の急行瀬戸の編成は、
・瀬戸1、2号
オユ11 オロネ10 スハネ16×3 オシ16 スハネ16×5 オハネフ12
・瀬戸2 、1号
マニ36 オロネ10 オロ11 スハネ16×2 オシ17 スハネ16×2 スハ43×3 スハフ42 スハ43 スハフ42
急行瀬戸は2往復運転され、食堂車も連結されていましたが、特に瀬戸1、2号にはオシ16が連結されていましたが、オシ16はビュッフェタイプの食堂車で、かつては急行彗星にも連結されていた車両ですが、1970年ころは急行十和田の一部の列車と瀬戸1、2号だけに連結されていた車両としても有名でしたが、
急行瀬戸も1972年の3月のダイヤ改正で1、2号が20系の寝台特急に昇格、2、1号は廃止になりましたが、この当時は急行出雲も瀬戸も東京機関区のef58が担当していましたから、お召し指定機のef5861号機も急行出雲や瀬戸の運用にも入っていた可能性は十分にあります。
●ef58が担当した急行といえば安芸もあった。
引用先 https://omoidenoshasoukara.web.fc2.com/kuresen/kuresen25.html
東京発の急行で有名なのが、東京と広島を結ぶ急行安芸になります。急行安芸といえば、糸崎機関区に残った戦後型の3台のc59が担当したことは有名ですし、晩年はヘッドマークもつくなどSLブームが終焉に迎える中で有名になった列車ですが、急行安芸も10系の軽量客車の寝台車で編成された編成美の美しい列車で、1970年の10月に廃止になる前の編成は、
オハネフ12 オロネ10×2 スハネ16 オシ17 スハネ16×2 オハネ12×2 オハネフ12 スハネ16×2 オハネフ12
になりますが、
急行安芸は完全な寝台急行列車でありますが、A寝台車が2両連結されている点が一番のポイントでさらに食堂車も連結されていましたが、急行安芸が運転されていた当時は、広島まで新幹線が伸びていなかったということもあり人気の高い急行でありましたが、1970年10月のダイヤ改正で寝台特急あさかぜ3、 1号に昇格し、列車の名前は153系の急行電車に引き継がれました。
●急行紀伊もef58が担当していた。
引用先 https://www.talentsguadalajara.com/product/F?577309=jvoroshilovg
ef58と縁のある列車の一つが、14系14形時代に浜松機関区のef58が担当していた出雲2、3号に連結されて運転されていた寝台特急紀伊がありますが、紀伊も元は急行で、1970年代までは王子 鳥羽方面に向かう複数の編成で組まれた列車でその当時の編成が次のようになりますが、
ナハフ10 オロネ10 オロ11 オハネ12×2 ナハフ10×2 オハネフ12×2 スハネ16 ナハ10 ナハフ10
1972年のダイヤ改正で、急行銀河1、 1号に紀伊勝浦編成が併結、王子 鳥羽方面は廃止。1975年の3月のダイヤ改正からは東京と米子を結んだ寝台特急いなばと組み合わさって寝台特急として運転されるようになりました。
●急行桜島と高千穂もef58が担当していた。
引用先 https://trackway.exblog.jp/30078529/
1970年代の東京から出ていた最長の急行が急行桜島と高千穂ですが、急行桜島は1970年の10月のダイヤ改正からこれまで運転されていた急行霧島から名前が変わりましたが、
急行霧島も東京駅から出ていた九州行きの急行では有名な方でしたが、晩年は編成も短くなり、高千穂と組み合わさって運転されていましたが、
1970年の10月のダイヤ改正以降の編成は次の通りになります。
マニ60 オユ10 ナハフ11 オロ11 オシ17 ナハ11×3 ナハフ11×2 オロ11 ナハ11×3 ナハフ11
そして1972年の3月から食堂車が外され、
ナハフ11 オロ11 ナハ11×4 ナハフ11×2 オロ11 ナハ11×3 ナハフ11
1974年の12月からは高千穂からグリーン車が消えて、
ナハフ11 オロ11 ナハ11×4 ナハフ11×2 ナハ11×4 ナハフ11
スハフ42 スロフ62 ナハ11×2 オハ47×2 ナハフ11×2 ナハ11×4 ナハフ11
この頃になると急行よりも長距離を走る普通列車ような編成となり、最終日の3月8日の急行桜島 高千穂は長距離を走る普通列車と変わらない編成となりましたが、
スハフ42 スハ43×2 オハ46 ナハ10 オハフ33 ナハフ10 オハ36 ナハフ11 ナハ10 オハ35 オハフ45
使われていた客車もスハ43系やオハ35系などが編成に組み込まれていたのですから、長距離を走る普通列車とは変わらないものでありましたが、この日を最後に東京から九州に向かう急行列車がすべて消えしまいましたが、
急行桜島 高千穂ですが東京から西鹿児島までの所要時間は、西鹿児島まで急行桜島で24時間51分、急行高千穂は28時間11分になりますが、急行桜島と高千穂ですが、門司で列車が分割され、桜島は鹿児島本線経由で、高千穂は日豊本線経由で運転されていた関係で、その分だけ余計に時間がかかったということでした。
そうしたこともあり、急行高千穂は日豊本線で上りと下りがすれ違い、さらに本州に入ってからは急行桜島 高千穂が東京から出発した西鹿児島行きの列車とすれ違うというようなこともありましたが、それも急行高千穂が日豊本線経由で運転されていた関係ですが、今でしたらこのような長距離を走る急行列車が運転されていたらどんな旅ができたのでしょうか。