本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

東海道新幹線開業前にef58が担当した急行列車たち。

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/yanma2007/e/c3b346b74a7b3fbfc0d8e2aa03cd71d2

 

東京駅から出ていた急行がピークを迎えたのが1963年の10月のダイヤ改正前ですが、この当時ef58は東京駅から出るどんな急行を担当していたのでしょうか。

 

 

 


ef58が担当した東京駅発の急行列車の数々。

 

 

 

引用先 https://www.kenichihamana.com/2023/02/15/isemonogatari-1/

 

 

東海道新幹線が開業してから今年で61年目になりますが、東海道新幹線開業した1963年10月のダイヤ改正までは東京駅から数多く急行が出発していましたが、その当時東京駅から出ていた各地に向かう急行もいろいろとありましたが、どんなものがあったか次のようになります。


夜行

11・12レ 急行銀河 東京から神戸

13・14レ 急行明星 東京から大阪

15・16レ 急行彗星

17・18レ 急行月光

19レ  急行金星


21・2022~22レ 急行出雲 金星


2013・2014レ 急行すばる

2017・2018レ 急行あかつき


九州方面

31・32レ 急行霧島

33~2033・2034~34レ 急行雲仙 西海

35・36レ 急行高千穂

37~2037・2038~38レ 急行筑後 ぶんご

1031・1032レ 急行桜島

 

中国方面

23・24レ 急行安芸

25・26レ 急行瀬戸


和歌山方面

201~2201・2202~202レ 急行那智 伊勢

203・204レ 急行大和

 

北陸方面

901・902レ 急行能登


東海道新幹線が開業する前の東京駅を出発していた急行は、10番台東京と大阪との間を結ぶ夜行の急行で、寝台車で編成されたものですが、下りの急行金星は、信越・日光方面の団体専用列車を併結していましたが、上りの急行金星は、出雲との併結で運転されていました。


20番台の急行も10番台東京と大阪を結ぶ急行と同じく完全な寝台列車でありました。

 

東京駅を出発する30番台の急行九州に向かう列車で、昼に東京を出発する関係寝台車と座席車の組み合わせですが、まだ東京から九州に向かう寝台特急が庶民には高嶺の華であった時代でありました。

 

東京から出ていた急行には和歌山方面に向かう 那智 伊勢のような2層立ての急行もありましたが、2層立ての急行東京から九州方面に向かう雲仙 西海、筑後 ぶんごの組み合わせもありましたが、行き先が異なる列車をうまくく合わせたものでありましたし、単体では急行大和もありました。

 

 

それと東京から出ていた急行で異色なのが、急行能登です。この当時運転されていた急行能登東海道本線経由で米原で進行方向変わる急行でしたが、これも今では考えられないものでありますが、この当時は当たり前のように運転されていましたが、14系寝台特急北陸上越線大雪で通れなくなった際に、東海道本線経由で運転されたこともありましたが、それができたのも急行能登米原経由で運転されていたからです。

 

 

 

そして東海道新幹線が開業してからどうなったかというと、

 

東京と大阪との間で運転されていた急行は大きく削減され残った急行は、


11・12レ 急行銀河 東京から神戸

13・14レ 急行明星 東京から大阪

15・16レ 急行月光 

19・20レ 急行金星

 

となりましたが、急行すばる、あかつき、彗星は廃止となりましたが、新大阪から運転されていた寝台特急の名前としてあかつきと彗星は復活しました。急行金星はこの時のダイヤ改正ではれて、まともな急行として運転されるようになりました。

 

 

そして中国地方に向かう急行はというと、

 

23・24レ 急行安芸

25・26レ 急行さぬき

25・26レ 急行瀬戸

 

あらたに急行さぬきが追加されました。

 

 

 

 

ef58が担当した東京駅発の急行列車で使われていた客車。

 

 



引用先 https://blog.goo.ne.jp/yanma2007/e/c3b346b74a7b3fbfc0d8e2aa03cd71d2

 


東海道新幹線が開業する前後に東京駅から各地に向かう急行列車で使われていた車両は、東京から大阪、中国地方に向かう列車は完全に寝台列車で、この当時はA寝台車やB寝台車ではなくて、1等寝台車と2等寝台車でありましたが、

 

 

どんな車両使われていたかというと、

 

1等寝台車は戦後になってから作られたマイネ40と41が、ロネに格下げされてマロネ40と41に変わり、10系のオロネ10も使われていました。

 

 

2等寝台車は、10系のナハネ11、オハネ17にナハネフ10そして戦前に作られたスハネ30と31が戦時中に座席車のオハ34となり、それを10系の2等寝台車と同じように復旧したスハネ30とスハネフ30も使われていました。

 

 

あと、急行彗星や安芸、瀬戸食堂車が連結されていましたが、彗星にはオシ16が連結されていましたが、オシ16は従来の食堂車とは異なり、大人の方が寝る前のひと時を過ごせるカウンターバーのような作りの車両であったということで、

 

 

東海道新幹線が開業する前までは、急行彗星に連結されていましたし、この当時のビジネスマンには急行彗星を選ぶ方もいたというくらいに人気の高い車両でありましたが、このような車両は今の時代にも必要なのではないでしょうか。

 

 

 

 

ef58が担当した東京駅発の急行列車はどこの機関区が担当だったのか?

 

 

 

 

引用先 https://shonan253.blog.jp/archives/14372902.html

 

 


東海道新幹線開業前後東京駅から大阪方面に向かう急行を担当した機関区は、東京、浜松、米原、宮原、広島ですが、この当時これらの機関区には大窓や小窓のef58はいましたし、東京機関区にはef5861号機が、浜松機関区にはef5860号機もいましたから、ef5861号機や60号機も当たり前のように東京から大阪や中国地方に向かう急行も担当していたのではないでしょうか。

 

 

東海道新幹線開業前東京から出ていた急行は特急や寝台特急が庶民にとって高嶺の花だっただけに、その役目も大きかったということでありました。