本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

ef58が担当する寝台特急の歴史 ニューブルートレインはいつから?

 

 

 

引用先 http://akebonoroman.blog3.fc2.com/blog-entry-15.html

 

 

 

ef58が担当した寝台特急は、24系24型などの新しい客車も使われるようになりましたが、いつから使われるようになったのでしょうか。

 

 

 


ef58が新型の寝台車を担当するようになったのは1972年から。

 

 

 

 

引用先 https://slkyoto.exblog.jp/16305540/

 

 

 

新型の寝台車で編成された寝台特急ですが、関西圏では1972年寝台特急あかつきの4往復のうち、3往復14系14型が使われるようになりましたが、この当時、14系14型の寝台車が使われた寝台特急は、東京発の九州行きさくらとみずほだけでしたが、14系14型が登場したおかげで、さくらもみずほも途中で行き先が異なる二つの列車を分割して運転できるようになりましたから、その当時は本当に画期的な車両でありました。

 

 

そして関西発寝台特急あかつきにも14系14型が導入されたというのですから、その当時は関西発寝台特急の利用者も多かったということが表れていました。

 

この当時、関西発寝台特急は、米原と下関ef58が担当していました。

 

 

 


ef58担当した彗星やあかつきの増発で新型の寝台車も使われるようになった。

 

 

 

 

引用先 https://ameblo.jp/kansai-l1517/entry-12681299402.html

 

1973年の10月のダイヤ改正関西発九州行き寝台特急に大きな転換点になりましたが、その理由は寝台特急彗星とあかつきが増発されたということで、寝台特急彗星とあかつきは、それぞれ1往復が20系で運転されていましたが、それ以外は14系14型や集中電源方式の24系24型が使われるようになりましたが、この年のダイヤ改正寝台特急彗星やあかつき広島機関区も担当する機関区として加わり、

 

 

さらに翌年の1974年の4月のダイヤ改正彗星は5往復、あかつきも6往復まで増え、寝台車も24系25型が加わりましたが、この時が関西と九州を結ぶ寝台特急の最盛期でありましたが、

 

 

1975年の3月のダイヤ改正で、関西と九州を結ぶ寝台特急は、鹿児島本線明星長崎本線あかつき日豊本線彗星と分類されましたが、その裏には山陽新幹線の博多までの延伸が絡んでいました。

 

 

関西発寝台特急九州方面に向かう寝台特急で一番最後に新型の寝台車が使われたのは1975年の3月のダイヤ改正で、急行音戸が昇格した寝台特急安芸ですが、当初は20系を使っていましたが、その後24系25型が使われましたが、20系時代との違いはA寝台車プルマン式のナロネ21から個室式のオロネ25に変わった点でありましたが、1978年のダイヤ改正安芸も廃止となり、関西圏で運転されていたef58が担当した寝台特急もすべて終わりました。

 

 

 

 

ef58が担当した東京発の寝台特急にも新型の寝台車が使われるようになった。

 

 

 

 


引用先 http://d51791.com/pg22burutore.html


東京発寝台特急ef58ef60ef65500番台へと引き継がれていきましたが、1975年の3月のダイヤ改正で再びef58寝台特急を担当することとなりましたが、どんな列車かというと、東京と米子を結ぶ寝台特急いなば東京と紀伊勝浦結ぶ寝台特急紀伊ですが、

 

寝台特急紀伊大阪まで行く急行銀河に連結され、運転されていた急行ですが、1975年の3月のダイヤ改正までは急行銀河大阪までの2往復が運転されそのうちの1往復に急行紀伊が連結されていましたが、

 

 

1975年の3月のダイヤ改正急行銀河が一つになった関係で、急行紀伊寝台特急に昇格しましたが相方となった寝台特急いなば1978年の10月のダイヤ改正寝台特急出雲2、3号に昇格しましたが引き続き浜松区ef58が担当していました。そうした関係で、お召し予備機のef5860号機も運用に入ることがありましたが、

 

 

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/kenmatsu_grom/archives/28373606.html

 


1980年の10月のダイヤ改正でこの運用も終了しましたが、寝台特急出雲ef58東京機関区ef65500番台が検査入場でやりくりがつかなかった時に代走で寝台特急出雲の運用に入りました。実際に1977年の11月の末にそのようなことがあり、この時は東京機関区ef5868号機が担当し、運転台の前後に出雲のヘッドマークが付きましたが、国鉄時代Vol.26の22ページの上に寝台特急出雲回送列車をけん引するef5868号機の写真が出てきていますし、ヘッドマークもついています。

 

 

 

 

ef58が担当した北陸も14系14型が使われた。

 

 

 

引用先 http://ef58.info/EF58/EF58vol05.html


ef58が最後に担当した寝台特急として有名なのが上野と金沢を結ぶ寝台特急北陸ですが、寝台特急北陸も最初は20系で、その後14系14型に変わり、1980年の10月のダイヤ改正ef64 1000番台に交代しましたが、それまでの間戦後に作られた急客機と新型の寝台車の組み合わせが見られましたが、

 

 

それが1985年の1月になってからのことですが、北陸地方の大雪により、寝台特急北陸東海道本線経由で運転されることとなりました。その関係でef5861号機迂回の寝台特急北陸を担当することなりましたが、

 

 


引用先 http://1980jnr.net/contentsH-2-1.html

 

 

実際に撮影された写真が国鉄時代Vol.26の24ページから25ページに出ていますが、この時は偶然居合わせた方達しか撮影することができなかったのですが、今でしたら大変な騒ぎになっていたのではないでしょうか。