本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

ef58が担当した関西発の寝台特急の軌跡。

 

 


引用先 http://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/3-7ea7.html

 


ef58は関西発の寝台特急も担当したことがありましたが、そうなった理由と担当した列車には何があったのでしょうか。

 

 


ef58が関西発の寝台特急を担当した理由は?

 

 

 

引用先 http://yoneyamaexp.livedoor.blog/archives/13437162.html

 


ef58が担当した寝台特急は、東京発九州行き寝台特急役目を解かれたのが1963年12月寝台特急はくつる担当を解かれたのが1968年の10月、それ以降ef58寝台特急を担当することはなかったのですが、

 

 

1972年の10月関西発寝台特急で復活することとなりましたが、なぜ?そうなったかというと、この当時の日本ですが今とは比べ物にならないくらいに経済成長が著しかった時代で、山陽本線で運転されていた貨物列車増発された関係で、これまで関西発寝台特急を担当していたef65 500番台と1000番台貨物列車に回さなければならなくなったということがありました。

 

 

 

そうした流れで米原と下関に配属されていたef58が三度、寝台特急を担当することになりましたが、寝台特急はくつる以来、4年ぶりのこととなりましたが、

 

 

なぜ?ef58が関西発寝台特急を担当することができたかというと、最高速度も95キロに引き下げられたことでef58関西発寝台特急を担当することができました。

 

 

 

 

ef58が関西発の寝台特急を担当した機関区は?

 

 

 

 


引用先 https://trackway.exblog.jp/15317873/

 

1972年の10月関西発寝台特急を担当することになったef58ですが、担当した機関区米原と下関に配属されていた25両で、これらの車両ですが、35号機以降に作られた車両で、原形大窓に小窓の車両もありましたし、米原にはef5835号機と同じく側面が7つ窓でつらら切りが付き、さらに前面窓がHゴム白の36号機もいましたし、

 

 

さらに114号機から117号機東京機関区時代20系寝台特急はやぶさなどを担当した車両もありましたが、再び寝台特急担当に返り咲きましたが、これらの車両ですが、20系の客車を担当する関係で、元空気溜め引き通し管を設置する工事が施工されP型と呼ばれるようになりましたが、この工事ですがこの後、広島に配属されていたef58にも施工されました。

 

 


ef58が担当した関西発の20系の寝台特急は?

 

 

 



引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP051_EF65_EF58_Akatsuki.html

 

1972年の10月から米原や下関ef58が担当した関西発寝台特急は、寝台特急日本海につるぎ、彗星2往復、あかつきの1往復20系でありましたが、翌年の10月のダイヤ改正20系彗星は1往復だけとなり、さらに広島機関区ef58新大阪発寝台特急を担当することとなりましたが、

 

 

広島機関区P型のef58は、1975年の10月のダイヤ改正急行音戸を格上げした呉線経由の寝台特急安芸も担当することになりましたが、寝台特急安芸も運転当初からしばらくの間は20系であったのも、広島機関区ef58がP型であったことも関係していました。

 

 

そして山陽本線の難所でもあるセノハチでは、ef59が補機としてつきましたが、新旧の急客機が活躍する姿も見られましたし、20系時代寝台特急あかつきや彗星、日本海につるぎを担当したef58にはヘッドマークもつきました。

 

 

 

 


ef58が担当した関西発の寝台特急がいつ終わったのか?

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/mihoshi55/e/6b29507fe0d76298b9cecae71bcc8e64

 

 

 

20系で編成された関西発寝台特急ef58が担当していた列車がその役目を終えたのは、1975年の3月のダイヤ改正で、寝台特急日本海とつるぎ湖西線経由に変更になった関係でef81が担当し、新大阪発彗星とあかつきは、山陽新幹線の延伸によりその数が減り、さらに行き先ごとにまとめ直され、

 

 

鹿児島本線明星長崎本線あかつき日豊本線彗星となり、客車も20系から24系24型や25型、14系14型が使われるようになりましたが、20系寝台特急が使われていた列車はあかつきの1往復と日本海とつるぎだけとなりましたが、これらの列車も24系24型や25型、14系14型へと変わっていきましたが、

 

 

それだけ山陽新幹線の延伸の影響が大きかったということで、関西発ef58が担当した寝台特急20系安芸だけとなりましたが、日本海やつるぎなどを担当していたef58の役目はこの時で終わりました。