引用先 https://blog.goo.ne.jp/tsurukun1422/e/5435dcd731b7f6c865cd2f192da3c2e5
今から約50年前、上野駅から東北方面にいろいろな急行が運転されていましたが、それらの急行もef58が担当していましたが、どんな列車があったのでしょうか。
●ef58が担当した急行といえば八甲田が有名だった。
引用先 https://plaza.rakuten.co.jp/marutetsuex/diary/202204060000/
上野から東北方面に向かう急行といえば、東北本線経由の急行八甲田が有名ですが、1975年の時点では急行八甲田は、宇都宮機関区のef58とef57が担当していましたが、この頃になるef57の運用も減り、ef58の運用が増ふえましたが、この当時の話が国鉄時代Vol.1の青春譜 蓮田行進曲の中にも出てきていますが、実際にその当時ef57を撮影していた方達の話の中にも、一日中いてef57ではなくef58がきたということも出ていますから、ef57が急行八甲田に入ることも稀であったということではないでしょうか。
その当時の急行八甲田の編成は次のようになります。
オユ10 ワサフ8000 スハフ42 スロ62 ハザ×6、スハフ42
八甲田を担当したのが青森運転所で、まだこの当時の八甲田はグリーン車も連結されていたのも北海道との間を利用する方がいたということをあらわしています。そして仙台からスハネ16、スハフ42が増結されます。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/97f0ad3dab42ba5d962c6406debd5d42
急行八甲田と並び上野から東北方面に向かう急行として有名なのが、奥羽本線経由で青森との間を運転していた急行津軽ですが、急行津軽は1975年の時点では、4往復が運転されており、それぞれの編成は次のようになります。
マニ37 マニ36 スロフ62 オロネ10 スハネ16 ハザ×6、オハフ45
オユ10 オハフ45 スハネ16×2、スロフ62 オロネ10 スハネ16 ハザ×6、オハフ45
急行津軽は急行八甲田や急行十和田と同じく東北地方の方にすれば、東京との往来に使われた列車で、戦後になってから集団就職で上京した方には、お盆や年末年始に帰省する際に利用された列車で、出世列車とも言われていました。
急行津軽で使われた客車のうちハザはオハ46もしくはオハ47、オハフ33の戦後型が使われていましたし、急行津軽の2号、1号は秋田で切り離す寝台車も連結されていましたし、この当時の急行津軽にはb寝台車にオハネフ12やオハネフ13が、a寝台車にはオロネフ10も使われていました。
●ef58は季節急行のおがも担当していた。
引用先 http://tsunechan.web.fc2.com/oga.html
宇都宮機関区のef58は男鹿線経由で運転されていた季節列車の急行おがも担当していましたが、急行おがも、津軽や八甲田と同じくef57が使われていましたが、1975年の時点ではなかなか急行おがにも入ることが少なくなりましたが、
急行おがの編成はというと、
スハフ42、ハザ×7 スハネ16、オロネ10 スハフ42
になりますが、急行おがは季節列車ということでハザは茶色のスハ43も入ることもありましたが、そこは季節列車だからできたことでありました。
●ef58は帰省臨時急行列車でも活躍した。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/121516
今ではすっかり様変わりした上野駅ですが、今から約50年前は、お盆と年末年始には、上野から東北各地方に向かう臨時の帰省列車も運転されていましたが、この当時、運転されていた帰省臨時急行列車には、普段は波動用として各地の客車区に配置されている旧型客車がかき集められて使われていたということがありました。
そうした関係で急行八甲田や急行津軽にも臨時列車が設定されましたが、実際にどんな編成だったかというと、
・1975年12月29日
急行八甲田 51号 ばんだい52号
スロフ62 ハザ×4 スハフ42 スハフ42 ハザ×4 スハフ42
1975年12月29日に上野駅を出発する急行八甲田 51号 ばんだい52号は途中でばんだい52号が切り離されますが、八甲田51号にグリーン車が連結されているのも北海道との往来があった関係になります。
・1975年12月29日
津軽51号
スハフ42 ハザ×4 スハフ42
・1975年12月28日
おが53号 ばんだい54号
スハフ42 ハザ×4 スハフ42 ナハフ11 ハザ×4 スハフ42
急行津軽51号とおが53号 ばんだい54号は典型的な帰省臨時急行列車で、上野駅の混雑緩和のため、急行津軽51号とおが53号 ばんだい54号は品川駅からの出発でありましたが、その当時は上野駅の混雑もすごかったということで品川駅から出発する列車もありましたが、これも今では昔話の世界になります。