引用先 http://kazkaz.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_9f40.html
ef66が担当したレサ1000系で編成された鮮魚列車とびうお・ぎんりんですが、この列車はどんな理由で誕生したのでしょうか。
●ef66が担当したとびうお・ぎんりんはどんな列車か?
引用先 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84%E3%83%AC%E3%82%B510000%E7%B3%BB%E8%B2%A8%E8%BB%8A
ef66が担当した貨物列車の一つであったとびうお・ぎんりんが誕生した理由は、高速道路の延伸などに伴い、国鉄が担ってきた長距離を走る鮮魚輸送がトラックに負けてきました、そこでその当時の国鉄でも早く九州で水揚げされた鮮魚を運ぶかという課題に対して100キロで走ることができる貨車を作り出しました。
それがレサ1000系になりますが、この他にもコキ10000やワキ10000も同じような理由で作られた貨車になりますが、鉄道での貨物輸送は昭和40年代の初めがピークで徐々にトラックに奪われていったのですが、
今ではトラックよりも正確に荷物を運べるということで見直されていますが、この辺はいつの時代も変わらないものです。
そして100キロで運転できる高速貨物列車を引けるようにと、開発されたのがef66になりますが、ef66も高速道路を走るトラックに対抗するために作られた車両の一つでありました。
●ef66 が担当したとびうおとぎんりんの違いはどこか?
引用先 https://aucview.aucfan.com/yahoo/b1038376659/
ef66が担当した鮮魚輸送列車のとびうお・ぎんりんですがその違いは、前者が幡生と東京市場間、後者が博多港が大阪市場間で運転された列車でef66が担当するようになった1968年の10月のダイヤ改正で、とびうおは20両編成、ぎんりんは18両編成でありましたが、とびうお・ぎんりんは国鉄もトラック輸送に対抗するための切り札的な物として位置づけしていましたが、
実際にとぴうお・ぎんりんが運行される前は、長崎、西唐津、博多港、上戸畑、下関などから集められた冷蔵車で編成された鮮魚列車では、出荷されてから東京市場駅につくのが4日後でありましたが、それがとびうおが運行されるようになってからは27時間で東京市場駅に到着することができるようになりましたから、トラックで鮮魚を運ぶよりも早くセリに間に合うようになったというのですから、それだけ列車のスピードアップにも貢献しましたが、
1980年代に入ると、鮮魚輸送もトラックへの移行がさらにすすんだということもあり、とびうお・ぎんりんも列車の編成自体も短くなっていきましたし、国鉄の合理化もあり各地にあった市場駅も廃止となり、最後まで運転されていたとびうおも1986年の3月のダイヤ改正で廃止となりましたが、緩急車のレムフ10000は冷蔵コンテナの列車に移行してからも引き続き使われました。
●ef66が担当したとびうお・ぎんりんの牽引機は?
引用先 https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x1076487394
鮮魚特急貨物列車のとびうお・ぎんりんですが登場した当初は、下関から東京市場駅までがef65 500番台のf型が担当していましたが、
引用先 http://b767-281.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-1e7f.html
その場合、姫路まで分割して運転していましたがその理由もef65 500番台が重連運転するとけん引力が過剰となるということもあり、変電所などにも負担がかかるということで、姫路までは編成を減らし、ef65 500番台のf型が単機でけん引し、姫路から東京市場駅まで重連で運用していましたが、ef65 500番台がとびうお・ぎんりんを担当したのは2年ほどのことでした。
そして九州地区は、ed76が担当し、関門トンネルはef30が重連で、セノハチ越えではef59が重連運転で担当していましたが、鮮魚特急列車のとびうお・ぎんりんもセノハチ越えでは、途中開放する運転となっていましたが、時間的にも日中通過する列車ということで、ef59の途中開放が唯一撮影できた列車でもありました。