引用先 http://www.kanorail.com/ED75/ED75_3.htm
ed75で九州地区で活躍した300番台は、現役時代にはどんな列車を担当していたのでしょうか。
●ed75 300番台はed73の後継機として作られた車両。
●ed75 300番台は貨物列車で活躍していた。
●ed75 300番台はブルートレインも担当していた。
●ed75 300番台も不運な車両だった。
●ed75 300番台はed73の後継機として作られた車両。
引用先 https://blog.railroad-traveler.info/entry/2024/02/09/195500
九州で使われていたed75 300番台は、ed73の後継機として作られたで、同じ交流機として作られたed76がed72の後継機であったのと同じことですが、ed75 300番台とed76との違いは、前者が前面貫通で軸配置がb-bであったのに対して、後者は全面非貫通で軸配置がb-2-bの軸配置でした。
あとed75 300番台とed76の違いは暖房装置がed75 300番台は電気暖房で、ed76が蒸気暖房でありましたが、これがその後ed75 300番台の活躍の場を狭めてしまうことになっていきます。
●ed75 300番台は貨物列車で活躍していた。
引用先 http://ed75.la.coocan.jp/d-archive/0301-0501/0301-0501.htm
ed75 300番台の現役時代は、軸重の関係で長崎本線にしか乗り入れることができなかったということで、長崎本線内で運転されていた貨物列車も担当していましたが、その中でも花形の運用はコキ10000系で編成されたコンテナ貨物であったり、長崎、博多港と大阪市場駅の間でレサ10000系で編成された鮮魚特急貨物列車ぎんりんも担当していましたが、ed75 300番台は軸重の関係で鹿児島本線には乗り入れることができなかったのですが、この点はed73もそうでしたから使える範囲が限られてしまいました。
引用先 https://ameblo.jp/kinta500/entry-10428291175.html
ed75 300番台は貨物列車だけで使われていましたが、20系時代の寝台特急寝台特急さくら、あさかぜ、はやぶさ、みずほをed73とともに担当していましたが、担当した区間は門司から鳥栖までの区間ですが、
ヨンサントオのダイヤ改正によりその運用も解かれ、再びed75 300番台が寝台特急を担当することになるのは寝台特急さくらやみずほが14系14型に変わってからになりますが、それまでしばらくの間は寝台特急の運用から離れていましたが、
1984年の2月のダイヤ改正で、九州地区でも寝台特急にヘッドマークがつくようになり、さくらやみずほの長崎編成を担当するed75 300番台にもヘッドマークが付きましたが、この時がed75 300番台の一番輝いた時でありました。
●ed75 300番台も不運な車両だった。
引用先 http://silenceexpress.blog.jp/archives/6810432.html
ed75 300番台は東北地方で使われていたed75を60Hzにした車両で、暖房装置が電気暖房だった関係で、長崎本線で運転されていた普通列車の運用には入ることはなかったのですが、この辺は国鉄が官僚体制だったという証になりますが、九州地区で使う車両であれば、暖房装置なども本来ならば蒸気暖房にしなければならないということですが、その辺を理解していなかったということではないでしょうか。
その結果、ed76が登場したのですから。そういう意味でもed75 300番台も不運な車両でありましたが、これは北海道向けに作られたed75 500番台も同様でありましたが、
ed75 500番台も作ってみたのはいいのですが、暖房装置がなかった関係で貨物列車の運用にしか入れなかった車両で、その結果ed76 500番台が出てきたのですから、ed75 300番台もその当時の国鉄がどの地域にどんな機関車が必要だったかということを理解していなかったことをあらわしていた車両になります。