本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

臨時寝台特急エルム:ed75が活躍した時代の記録。

 



引用先 http://kaz2089.blog.fc2.com/blog-entry-35.html?sp


ed75が担当した臨時寝台特急エルムはどんな列車だったのでしょうか。

 

 

 

 

ed75が担当した寝台特急エルムは北斗星の補完列車だった。

 

 

 

 

 

引用先 http://www.kanorail.com/ED75/ED75_7.htm

 

 

ed75が担当した臨時寝台特急エルムは、北斗星補完する関係で運転されていた列車で、電源車を除けばすべての車両がb寝台車で編成されたものですが、その当時は、北斗星切符が手に入りにくかったということもあり、繁忙期には臨時寝台特急としてエルムが運転されていたというのですから、北斗星の人気がどれだけ高かったかということをあらわしています。

 

 


ed75が担当した寝台特急エルムの区間は?

 

臨時寝台特急エルムですが、どんな機関車が担当していたかというと、運行当初は上野から黒磯までがef65 1000番台で、黒磯から青森までの区間ed75が担当していましたが、オリエントサルーン指定機の車両もエルムの運用にも入りましたが、

 

 

 

 

引用先 http://ed75.la.coocan.jp/feature-stories/ltdexp/index.htm

 

 


いつまでだったかというと、1991年の3月のダイヤ改正まででありましたがそれ以降は、ef81が全区間担当になりましたから、ed75時代の臨時寝台特急エルムの写真は今では貴重な記録となりましたが、その当時は北斗星の人気が高かったからこそ。臨時寝台特急でエルムが運転されていました。

 

 

 


ed75が臨時寝台特急エルムを担当した理由。

 

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/ef58-60/e/ddb7ceecf097500bc5ca8644b7db00dc

 

 


ed75臨時寝台特急エルムを担当した理由は、繁忙期になるとef81がフル回転する関係で機関車も足りなくなる関係で、ed75が運行が始まった当初の臨時寝台特急エルムを担当していたということですが、

 

 

この当時は日本も景気が良かったということもありましたから、北斗星にの切符もあっという間に売り切れるということでしたから、エルムのようなモノクラスであっても上野と札幌を結ぶ列車も必要だったということでした。

 

 

 

ed75はエルム以外に臨時で運転された北斗星も担当した。

 

 

 

 

 

引用先http://ed75.la.coocan.jp/d-archive/0701-0737/0701-0737.htm

 

 

ed75ですが臨時寝台特急エルム以外にも、北斗星が運転されていた初めの頃ですが、上野と北海道を結ぶ臨時の寝台特急を担当することが複数ありましたが、その一つが寝台特急北斗星トマムスキー号ですがこの列車も臨時の寝台特急でありますが、北斗星が運転されていた時に臨時列車としてトマムまで運行された列車になりますが、

 

 

 

 

 

引用先 https://neotechsistemas.com/i2elk2xbo

 

 

今考えてみたら、札幌からトマムまでの区間もdd51重連で担当したのも奇跡的なことだったのではないでしょうか。

 

 

臨時列車として運転された寝台特急北斗星トマムスキー号も担当した機関車は横浜から黒磯までがef651000番台で、黒磯から青森までがed75でしたが、

 

 



引用先 https://naka0204.jugem.jp/?eid=180

 

 

臨時列車だったからこそ横浜から出発することができたのですが、

 

 

 

https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/bc8dc57a03142a7d52eb93c9175e51bd

 

この時、東海道線トマムまで目指す北斗星の写真も今では貴重な記録となったのではないでしょうか。

 

 

それとこれも臨時列車として運転されたシュプールニセコもありましたがこれも黒磯から青森区間ed75が担当しましたが、

 



引用先 https://aucfree.com/items/406471675

 

 

なんだかんだいってあの当時は、ed75が首都圏を出発する臨時の寝台特急で活躍していた時期もあったということになります。