本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

機関車デゴイチでなめくじと呼ばれたグループはどんな車両だったのか?

引用先 https://toyokeizai.net/articles/-/441098?page=2

機関車デゴイチの中でも少数派に入るなめくじと

呼ばれたグループはどんな車両だったのでしょうか?

 

 

機関車デゴイチのなめくじは近代蒸気機関車の始まりだった。

 



引用先 https://tetsumaru.jp/user/C623/photo/12112/

 

機関車デゴイチナメクジと呼ばれる初期型のグループですが、

 

番号で行くとd511から85、91から100までになりますが、

 

なぜ?途中で番号が飛んでいるのかというと、

 

 

この間に標準型の先行量産車であるd5186から90が入っている関係で

番号が飛んでいます。

 

 

そもそも機関車デゴイチのナメクジと呼ばれる初期型のグループについては、

 

大正から昭和の初めにかけて作られたd50から見て、

 

近代的な蒸気機関車になりますが、

 

どんなところがd50とは違うかというと、

 

d50と機関車デゴイチのナメクジと呼ばれる初期型のグループとの一番の違いは、

 

動輪がボックス式になっているという点になりますが、

 

 

この点については機関車デゴイチの前に作られた

ライトパフィシックのc55までが動輪がスポーク式でありましたが、

 

 

c55についてはスポーク式の動輪でありましたが補強が入っていましたが、

 

その前に作られたc51形などの蒸気機関車については

動輪がスポーク式であったということで、

 

これが災いしたのでしょうか?

 

戦後になってからc51でも動輪をボックス式に交換した車両もありますもあれば、


画像はc51240号機になります。

 


引用先 http://shiino-goichi.sakura.ne.jp/c51-1.htm

 

それと鬼滅の刃 無限列車編にも出てきた8620形の

一部の車両でも動輪をボックス式に交換した車両

出てきたというのですから、


画像は花輪線で活躍した48633になります。

 

 



引用先 https://ameblo.jp/studio4310fukui/entry-12601118745.html


それだけスポーク式の動輪については

丈夫でなかったということになるのではないでしょうか。

 

 

そういう意味でも機関車デゴイチがボックス式の動輪にしたのも、

 

末永く活躍させていくためであったということを考えますと、

機関車デゴイチの初期型を設計した方には先を見る目があった

ということになりますし、

 

この後に作られていく機関車シゴナナやヘビーパシフィックの

c59にもつながっていくというのですから、

 

そういう意味でも機関車デゴイチの初期型についてはまさに時代の

最先端を行っていましたし、


この当時、ナメクジと呼ばれた機関車デゴイチの初期型に乗務した

乗務員の方も、


その当時使われていたd50と大きく異なる機関車デゴイチの初期型には驚いたのではないでしょうか。

 


●機関車デゴイチの初期型がなぜ?なめくじの形をしているのか?

 

 

引用先 https://www.omotetsu.com/omoide1/rebun/rebun.htm


それと機関車デゴイチで、

 

なめくじとも呼ばれている初期型の車両については、

 

煙突からドーム部分にかけて半流線形の形をしていますが、

 

なぜ?あのような格好をしているのかというと、


その理由についてはその当時の世界の鉄道も絡んでいましたが、


機関車デゴイチのなめくじが作られた当時の鉄道の世界を覗いてみると、

 

その当時の世相が見えてきますが、


その前に戦前に作られたデンター式の蒸気機関車については、

 

スチームドームとサンドドームがそれぞれ離れていましたが、

 

c55になってから一つにまとまりました。

 

そして機関車デゴイチのナメクジとも呼ばれる1次型

につながっていきますが、

 

そもそも機関車デゴイチのなめくじと呼ばれるグループが作られ始めた時代ですが、

 

鉄道の世界にも流線形が流行していたということになります。

 

そういうこともあって、その当時の世界の鉄道では蒸気機関車もそうですし、

 

電気機関車などで流線形の車両がいろいろと作られたということになります。

 

ちなみにその当時の鉄道省ではどんな流線形の車両があったかというと、

 

 

蒸気機関車については戦前を代表する旅客機のC5343号機が

流線形に改造されたのをきっかけに、

 

引用先 https://ameblo.jp/kereiisukoke/entry-12735683194.html



 

ライトパフィシックとしても有名なC55の2次型のグループが流線型で落成しました。

 


引用先 http://kokutetu.michikusa.jp/newpage175.html


ちなみにですがC55の2次型のグループについてですが、

戦後になってから検修などで不便であるということで、


こんな流線形を撤去してこんな感じの姿となり、

 

引用先 https://lofthonsen.muragon.com/entry/1178.html

 

最後は通常の形になりましたが、それでも運転台が密閉式であったりなど流線形時代の名残を残していました。

 

画像は晩年、宗谷本線で活躍した流改の30号機になりますが、

 

引用先 http://d51791.com/pg26asahikawa.html


屋根の部分などに流線形時代の名残が残っています。

 


電気機関車ではというとさいたまの鉄道博物館

に保存されているEF55がその代表的な車両です。

 


引用先 https://www.asahi-net.or.jp/~pi5k-un/ef55.htm


電車ではというと飯田線で活躍したクモハ52の1次車

 

 

引用先 http://furukiyokikandou.image.coocan.jp/iida1.html

 

2次車も該当しますし、

 

 

引用先 http://tsurikakedensha.blogspot.com/2013/01/blog-post_25.html


ディーゼルカーでは1編成だけに終わったキハ43000などがありましたから、

 

 

引用先 http://shiruneko.blog79.fc2.com/blog-entry-625.html

 

その当時の日本の鉄道でも流線形がまさに時代の

最先端を行っていたということになりますが、

 

 

ただ、実際に効果はあったのかというと効果はなくて

むしろ外見だけで世間の話題をさらったといった方が

いいのではないでしょうか。

 

 

その一方で飯田線で活躍したクモハ52については

むしろ流線形のスタイルの良さが光った車両になりますが、

 

 

あの当時の京阪区間については当時の省線と阪急などの

私鉄とのスピード競争も激しかったといわれているだけに、

 

その当時、クモハ52で編成された電車を見た人たちは

本当に流線形のデザインのカッコよさに驚いたのではないでしょうか。

 

 

そういう意味でもあの当時の流線形の車両の中では、


クモハ52だけが唯一いい結果であったということになります。

 

 

機関車デゴイチのなめくじ形については効果がなかった。

 



引用先 https://nihonisshyu.blog.fc2.com/blog-entry-5899.html


機関車デゴイチでなめくじと呼ばれた1次型が、


なぜあのような格好だったかということに

 

ついてはその当時の流行を取り入れていたということになりますが、

 

じゃあ?本当になめくじは効果はあったのかというと、

 

実際のところ効果はなかったというのですが機関車デゴイチ自体が貨物用ということですから、

 

スピードはあまり出なかったということになりますが、

 

そうなるとなぜ?初期型と呼ばれているグループがナメクジの形になったかというと、

 

疑問がでてきますが、

 

そもそも機関車デゴイチでナメクジと呼ばれた1次型については、

 

全般検査などで工場に入場した際ですが給水加熱機器を交換することで、

 

整備の手間を省くという狙いでナメクジの形になったと言われていますが、

 

ただ、その当時の鉄道省といえども台所事情も良くなかったということで、

 

この方式については実現することができなかったということになりますし、

 

そのあとに作られた機関車デゴイチの標準型の方が、


整備を担当する方達からも良かったとも言われているだけに、

 

機関車デゴイチのなめくじ型については失敗作だったと

思われていたということになりますが、

 


その当時の世界の鉄道でも流線形が流行していたというのですから、

 

それを取り入れたその当時の鉄道省の機関車の設計に関わった方達も、

 

先を見通す目がなかったということになります。