本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

ef58が担当した特急つばめとはとの歴史 その舞台裏から見えてくるものは?



引用先 https://www.toretabi.jp/railway_info/entry-5657.html

 

 


ef58といえば、何はなくても東海道本線で運転されていた客車時代の特急つばめ、はとが有名ですが、いつから担当していたのでしょうか。

 

 

 

 

 

 


ef58が特急つばめとはとを担当したのはいつからか?

 

 

 

 

 

 

引用先 https://x.com/take7700gh5fs/status/944224432175824896?mx=2

 


ef58特急つばめとはとを担当したのはいつかというと、1953年7月の名古屋まで電化が延伸された際からで、新車体のef58が登場した時期と重なります。

 

 

ef58の新車体が登場するまでは、ef57沼津まで担当し沼津から先はc62が担当していましたが、これも今考えてみたら夢のような世界ではないでしょうか。

 

 

何しろ戦前に作られた急旅客機とハドソンクラスのc62が交代するのですから。

 

 

名古屋まで電化が延伸された際ですが、ef58もデッキ付きの旧車体の車両もありましたがこれも特急つばめとはとの運用に入ることがありましたが、その一方で旧車体のef58も新車体車体を乗せ換える工事も進み、この時点でも車体を乗せ換えた車両も落成してきましたし、

 

名古屋まで電化が延伸された際旧車体から新車体の乗り換えたef58 4、16,18,31の4両特急つばめとはとを担当したこれらの車両は試験塗装機と呼ばれ、

 

4号機はグリーンのツートン。

 

16、18号機はブルーに裾に黄色の帯が入っている。

 

31号機は濃い目のブルーに裾がオレンジ

 

これらのef58特急つばめとはとの運用に入りました。

 

 

特急つばめとはと名古屋まで電化が進んだ時点で、名古屋までef58が担当していましたが、名古屋駅にてc62と交代する場面が見られたのですから、その当時の名古屋駅でのef58からc62に機関車が交代する場面は、今なら中の世界のようなものですが、その当時はごくありふれた光景でした。

 

 


特急つばめとはと名古屋まで電化が延伸された際の時点で、新ef58ヘッドマークステーがなかったのですが、1955年の7月の米原まで電化が延伸されたヘッドマークがつくようになりましたが、ヘッドマークは当初ef57で使われていた800mmの物が使われていたが、12月以降は600mmの物が使われるようになりました。

 

 


特急つばめとはとは1955年の7月の米原まで電化が延伸されときに担当した機関区は、これまでつばめ、はと上り、下りともに東京機関区が担当していましたが、米原まで電化が進んだということで、下りのつばめとはと東京機関区上りのつばめ浜松はと米原機関区が担当することになりました。

 

 

さいたまの鉄道博物館に保存されているef5861号機落成したのが、1953年になりますが、同じくef5860号機この年に落成していますが、特急つばめやはとの運用には入ったのでしょうか。

 

 

ef5860号機は、1955年の7月の米原まで電化が延伸された際上りのつばめを担当しましたが、鉄道ファン1984年1月号の40ページの上に品川駅に到着する特急つばめの写真が出てきていますから、ef5861号機つばめやはとの運用にも入った可能性も十分にあり得ます。

 

 

ef58が担当したつばめとはとで使われた客車。

 

 

 

 

引用先 http://mrtshk.sakura.ne.jp/kokutetu/tubame.html

 

ef58が担当したつばめとはとで使われた客車は、その当時の花形のスハ44系で、スハニ35、スハ44、スロ60で、食堂車はマシ35もしくはカシ36ですが、カシ36はマシ35で使われていた調理機器などが電化された車両ですが、その当時の調理家電はまだ使い物にならなかったということで、後日、石炭レンジに変更されました。

 

 

 

1等展望車は、つばめマイテ39 1、21、マイテ49 1はとマイテ58 1、2、マイテ49 2が使われていましたが、スイテ48 11955年の11月19日特急はとに使われていた。

 

あとさいたまの鉄道博物館に保存されているマイテ39 11もありましたが、ただ、マイテ39 11は内装が桃山式であった関係で、つばめには連結することはあまりなかったといわれていますが、その理由も内装が桃山式だったということで、霊柩車のようなものだといわれていましたが、海外から来た方には評価が良かったと言われています。

 

 

増結用の1等車当初はマイネ411等寝台車廃止後は御料車旧1号編成に増結されていた供奉車の300と301が形式変更になりスイ38として連結されていましたが、スイ38一人掛けの椅子で、連結される位置も1等展望車の前に連結されますが、海外からの団体客つばめやはとを利用する際に連結されていました。

 

 

 

 

茶色時代のef58が担当したつばめとはとはいつまでか?

 

 

 

 

引用先 http://sakikawa.michikusa.jp/ef58-5.html

 


茶色時代のef58特急つばめとはをいつまで担当していたかというと、東海道本線が完全に電化された1956年の11月のダイヤ改正までになりますが、それ以降はef58特急つばめとはとで使われた車両はすべて青大将になりましたが、ef58が茶色から青大将への塗装が遅れたこともあり、茶色のまま青大将時代特急つばめやはとの運用にも入っていました。