本棚の住人の鉄道忘備録

個人的に気になった鉄道に関するテーマで書いているブログです。

ef65 0番台の長い車歴と更新工事を受けた理由はどんなことだったのか?



引用先 http://ef6556.web.fc2.com/ef65-0.html


ef65 0番台も晩年、更新工事を受けましたが、なぜ?ef65 0番台が更新工事を受けたのでしょうか?

 

 

 


ef65 0番台が更新工事を受けた理由は?

 

 

 

 



引用先 https://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-0_takaki.html


JR貨物に所属していたef65 0番台は、一般色から更新色に変更された車両もありましたが、JR貨物に所属していた直流電気機関車で、ef64からef66がなぜ更新工事を受けた理由は、JR貨物で使われていたef64からef66の中には、車歴の長い車両も存在していました。


それで車歴の長い車両は、特別保全工事を随時行い引き続き使っていくことになりましたが、この場合、新しい後継機の登場までということになりますが、ef65の各グループの場合は、桃太郎ことef210が増備されていくまでということになります。


そうした関係で車歴の長いef65 0番台は、ef210が随時落成して、配備されるまで使うということで、更新工事を受けました。

 


ef65 0番台の更新機の塗装のベースになった車両もあった。

 

 

引用先 https://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-0_takaki.html

 

 


ef65は、0番台を含めて更新工事を受けた車両は塗装変更を行いましたが、その元になった車両がJR貨物になってから試験塗装機として登場した、ef65 21号機でありました。

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/tec_300x/archives/51534831.html

 

ef65 21号機は、元々廃車になった車両で国鉄清算事業団が所有していましたが、それをJR貨物が購入して整備し直した車両で、その際に塗装も変更しましたが、その時の塗装が後の更新工事を受けた車両の塗装のベースとなりました。


そうしたこともあってef65 0番台も更新工事を受けましたが、更新工事を受けた車両は最初はライトパープルをベースにディープブルーとスカイブルーの塗装でしたが、

 

 

 

引用先 https://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-0_takaki.html

 

のちに大宮車両所で全検を受けた車両は、ライトパープルとディープブルーに変わりましたが、

 

 

 


引用先 https://train.sakura.ne.jp/freight/f-photo/f-2382


広島車両所で全検を受けた車両は引き続き3色で出場しました。

 

ef65 0番台は、JR貨物時代に更新機もすべて廃車となり、3回目の更新工事を受けた車両は存在しませんが、仮にef210の落成が遅れていたら、もしかしたらef65 0番台でも、3回目の更新工事を受けた車両も出てきてもおかしくないのではないでしょうか?

 

この辺は500番台のP型とF型もそうですし、1000番台の前期型にもあてはまります。

 

 

 


ef65 0番台の更新機にパンタグラフが変わった車両もあった。

 

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/momotaro20050617/e/b5a72390f73f22afff1562190e9306ac


ef65 0番台は変形機がありませんが、唯一パンタグラフがPS22に変わった車両がいくつかありましたが、JR西日本に所属した123号機が晩年、パンタグラフをps22に交換しましたが、なぜパンタグラフを交換したその理由ですが、

 

これまで使われていたパンタグラの予備がなかったということで、ef65で廃車となった車両で使われていたPS22に交換しただけでありましたが、JR貨物に所属した更新機の114号機パンタグラフをPS22に交換しましたし、

 

 

 


引用先 https://blog.goo.ne.jp/momotaro20050617/e/ead3166ec46fbec5c4a861e22ca0d450


0番台でもパンタグラフをPS22に交換した車両もありましたから、まあ、ef65 0番台が作られてからそれなりに年数も経過していましたから、予備の部品もなくなってしまうということであれば、これもそうした流れであるということになりますが、あまり変形機がなかったef65 0番台でも、パンタグラフを乗せ換えた車両が更新機などにあったということでありました。


ef65 0番台も車歴が長かったということで更新工事を受けた車両もありましたが、これも今では過去帳の世界に入りましたが、それでもef65 0番台の活躍がどれだけ長かったかということを証明しているのではないでしょうか。

 

 

ef65 0番台の長い車歴と更新工事

 

 

ef65-127
http://ef6556.web.fc2.com/ef65-0.html


ef65 0番台にも晩年、更新工事を受けましたが、なぜ?ef65 0番台が更新工事
を受けたのでしょうか?

 


ef65 0番台が更新工事を受けた理由は?

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https://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-0_takaki.html


JR貨物に所属していたef65 0番台については一般色から更新色に変更された
車両もありましたが、

そもそもJR貨物に所属していた直流
電気機関車ef64からef66がなぜ更新工事を
受けたのかというと、


JR貨物で使われていたef64からef66の中には
車歴の長い車両も存在していました。


それで車歴の長い車両については特別保全工事を随時行い、

引き続き使っていくということになりましたが、

この場合、新しい後継機の登場までということ
になりますが、


ef65の各グループにについては桃太郎ことef210が増備されていくまでということになります。


そうした関係で車歴の長いef65 0番台
についてはef210が随時落成して、配備されるまで使うということで、


更新工事を受けました。


ef65 0番台の更新機の塗装のベースになった車両もあった。


それでef65 0番台を含めてef65全体で、

更新工事を受けた車両については
塗装変更を行うということで、

その元になった車両がJR貨物になって
から試験塗装機として登場した
ef65 21号機になりますが、

ef65 21号機ですが元々廃車になった
車両で国鉄清算事業団が所有していましたが、

それをJR貨物が購入して整備しなおしたという
ことですが、

その際に塗装も変更しましたが、その時の塗装が
後の更新工事を受けた車両の塗装のベースとなりました。


そうしたこともあってef65 0番台
も更新工事を受けましたが、


更新工事を受けた車両は最初は
ライトパープルをベースにディープブルーとスカイブルー
の塗装でありましたが、

ef6555_1b

https://bosoview.sakura.ne.jp/loco/ef65/ef65-0_takaki.html

後に大宮車両所で全検を受けた車両は、
ライトパープルとディープブルーに変わりましたが、

 

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https://train.sakura.ne.jp/freight/f-photo/f-2382


広島車両所で全検を受けた車両は引き続き3色で
出場しました

 


それでef65 0番台については
JR貨物時代に更新機もすべて廃車となり、

3回目の更新工事を受けた車両は存在していませんが、

仮にef210の落成が遅れていたとしたら、

もしかしたらef65 0番台でも3回目の更新工事を受けた
車両も出てきてもおかしくないのではないでしょうか?

この辺については500番台のP型とF型もそうですし、

1000番台の前期型にもあてはまることになります。


ef65 0番台の更新機にパンタグラフが変わった車両もあった。


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https://blog.goo.ne.jp/momotaro20050617/e/b5a72390f73f22afff1562190e9306ac


ef65 0番台については変形機がありませんが、

唯一パンタグラフがPS22に変わった
車両がいくつかありましたが、


JR西日本に所属した123号機が
晩年、パンタグラフをps22に
交換しましたが、

なぜパンタグラフを交換したのか
というその理由ですが、

これまで使われていたパンタグラが
なかったということで、

廃車となったef65 0番台で使われていた
PS22に交換したということになりますが、

これについてはJR貨物に所属した更新機の114号機も
パンタグラフをPS22に交換しましたし、


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https://blog.goo.ne.jp/momotaro20050617/e/ead3166ec46fbec5c4a861e22ca0d450


更新機の0番台でもパンタグラフ
PS22に交換したのもそうしたことでありましたが、


まあ、ef65 0番台が作られてからそれなりに
年数も経過していましたから、


予備の部品もなくなってしまうということであれば
これもそうした流れであるということになりますが、

あまり変形機がなかったef65 0番台でもパンタグラフ
乗せ換えた車両が更新機などにあったということで
ありました。


ef65 0番台も車歴が長かったということで
更新工事を受けた車両もありましたが、

これも今では過去帳の世界に入りましたが、

それでもef65 0番台の活躍がどれだけ
長かったかということを証明しているのでは
ないでしょうか。

 

 

貨物用のef65 0番台の様々な塗装変更機 国鉄からJRにあった車両たち。

 

引用先 https://blogtag.ameba.jp/news/EF65-0%E7%95%AA%E5%8F%B0

 

 

貨物用のef65 0番台は国鉄時代からJRにかけていろいろな塗装変更機も存在していました。

 

 

 

 

ef65 0番台にはユーロライナー指定機が3両あった。

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/185183

 


ef65 0番台でJRの旅客会社に引き継がれた車両はほんのわずかで、その中でも有名な方に入るのが、JR東海にあったユーロライナー指定機でありますが、ユーロライナー指定機といえば国鉄時代にはdd51とef64がありましたが、

 

JRになってからは新たにef65 0番台も3両加わりましたが、番号出ていきますと、105・106・112号機になりますが、これらの車両もユーロライナーの廃車とともに消えていきましたが、唯一112号機が工臨などで活躍していましたが、これも2007年の12月で廃車となりました。

 

 


ef65 0番台のジョイフルトレイン指定機はゆうゆうサロン岡山もあった。

 

 

引用先 http://www2.onsenfan.com/~yebisu/jp/train/jrw/jrwef65123_01.html

 


ef65 0番台で最初にジョイフルトレイン指定機になったのは、岡山局が12系の座席車を改造したゆうゆうサロン岡山でしたが、まだ、この当時ですが客車を改造したジョイフルトレインは、品川客車区にあったサロンエクスプレス東京と、宮原客車区にあったサロンカーなにわだけですが、これらの車両は14系14型の座席車から改造したもです。


そして12系から改造されたジョイフルトレインは、名古屋局のユーロライナーと岡山局のゆうゆうサロン岡山となりますが、まだ、この当時ですが日本がバブル景気に入ったころでもありましたから、この手のジョイフルトレインが必要になってきた時期と重なっていました。

 

それでゆうゆうサロン岡山ですが、登場すると同時にef65123号機が指定機になりましたが、これまで旅客列車と縁がなかったef65 0番台もついに檜舞台に立つ時が訪れました。

 

 

そして国鉄からJRに移行した関係で、ef65123も当初は国鉄時代の茶色に金色の帯の塗装でしたが、車両の更新と合わせて車体がオレンジとなり、最後はパンタグラフがps22となりました。

 

 

 


引用先 https://raillab.jp/photo/105252

 

 

 

 

ef65 0番台の塗装変更機といえばJR貨物の車両。

 



引用先 http://www.kanorail.com/EF65/EF65.htm

 

ef65 0番台国鉄からJRに引き継がれた際に、ほとんどの車両がJR貨物に引き継がれました。そうしたこともあってJR貨物に引き継がれたef65 0番台には、塗装変更機もいろいろとありましたが、どんなものがあったのかというと次のようになります。


ef6521号機

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/tec_300x/archives/51534831.html

 

 

国鉄清算事業団から購入した21号機ですがこの車両は、本来であればあるはずの前面の飾り帯が撤去され、さらに前面のナンバープレートが右寄りになっていましたが、この点はそのあとにJR貨物が作ったef66 100番台、ed79 50番台にef81 450番台と500番台へと引き継がれていきましたし、車体の色もブルーとホワイトの塗り分けで3ありましたから、その後のJR貨物で使われていた直流電気機関車の更新色のもとになった車両で、最後は一般色に戻りましたが、

 

 

引用先 http://blog.livedoor.jp/tec_300x/archives/51534831.html

 

ナンバープレートが右寄りであったという点が、他のef65 0番台と異なっていました。


ef65 116号機

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/210287


ef65 116号機も本当に塗装が派手といえばとにかく派手で、どれくらい派手だったかというと、車体の色が濃い青でさらに側面にやまぶき色でJRの文字が大きく書かれ、前面にもやまぶき色の帯が入っていたということでも有名でしたが、1991年の全般検査の際に元の一般色に戻りました。

 

 


ef65 0番台には茶色の車両も存在していた。

 

 

引用先 http://hakubutukantyou.at-ninja.jp/sub39.html

 


ef65 0番台ですが、JR貨物に引き継がれた車両の中から4両が茶色の塗装に変更されていましたが、なぜ?そうなったのかというと、ef65の元になったef60が登場したころは茶色でありましたから、原点に戻ったということではないでしょうか。

 

それで茶色になったef65 0番台ですが何号機があったかというと次の4両になります。

 

国鉄清算事業団から購入して復活した9号機

 

 

 

 


・9号機の故障により、二代目となった56号機

 

 


引用先 http://kawayu449.blog.fc2.com/blog-entry-1000.html

 

 


岡山機関区から高崎機関区へ移動したのちに茶色となった57号機

 

 

 

引用先 https://raillab.jp/photo/24030

 


更新色から茶色になった75号機

 

 

引用先 http://dd51twilight.fc2web.com/train/gallery/loco/ef65-0/75/010728-kamotsu-ef6575.html

 

 

茶色になったef65 0番台ですが、9号機は国鉄清算事業団にあった廃車となった車両から復活したものですが、4代目の75号機は更新色から茶色になったという異色の経歴でありましたが、これらの車両も今は過去形の世界に入ったということになります。

 

 

車両の進化と活躍:ef65 0番台の活躍の歴史

 

 

引用先 https://www.torepa21.com/html/a-j31ef65kamo3e2.html

 

 

 

首都圏をはじめ、東海道本線山陽本線で地味に目立たないまま活躍していたef65の0番台は、どんな車両だったのでしょうか?

 

 

 

 

 

ef65 0番台はこんな車両だった。

 

 

 

引用先 https://blogtag.ameba.jp/news/EF65-0%E7%95%AA%E5%8F%B0

 

 

かつては東海道本線などで、貨物列車で活躍していたef65 0番台はどんな車両だったかというと、

 

ef60のけん引力と高速走行性能を強化した車輌であること。


試作車や先行量産車がなく、いきなり量産車から製造された。
 

JRになってからも長く使われた

 

 


ef65 0番台が作られたその理由もef60絡みだった。

 

 


引用先 http://www.kanorail.com/EF65/EF65.htm

 

首都圏や東海道本線でかつては見ることができたef65 0番台は、これまで貨物列車などで使われていたef60では、けん引力と高速性能がいまいちだったということもあり、


モーターの出力を強化し、さらにギアの比率も高めたということで、平坦区間でも高速での運転もでき、さらに牽引定数も高くなったということもあり、ef60よりも使い勝手のいい機関車として作られた車両でしたが、そのおかげでコキ50000系で編成されたフレートライナーも担当することができましたが、

 

裏を返せばその当時の国鉄の関係者も、ef60の性能には納得していなかったとも見ることができますから、そうしたことを含めるとef65 0番台は、その後の500番台や1000番台にも繋がっていく車両でありました。

 

 

ef65 0番台には先行量産車が存在しないその理由は?

 

 

引用先 http://www7a.biglobe.ne.jp/~dts/page503.html

 


ef65 0番台は、いきなり量産車から始まっていますが、そもそも国鉄で使われていた電気機関車は、試作車であったり先行量産車を落成させてから、走行試験などを行って問題点などを洗いざらいに出してから量産車へと移行するのですが、

 

ef65 0番台番台の場合は、ef60の改良型ということもあり、1号機から量産車へと入りましたが、この点はこれまで国鉄で使われていた電気機関車の中でも、異なっていたということになりますが、

 

ef65 0番台はef60という前の車両があったからこそ、いきなり量産車へと移行したということになりますが、もしef65 0番台がモーターなどを含めてef60と異なっていたらまずは、先行量産車からということになったのではないでしょうか。

 

そういう意味でもef65 0番台は、500番台や1000番台へと続いていく車両の土台となりましたが、逆に言えばef65 500番台や1000番台ができたのもef65 0番台があったからとなります。

 


ef65 0番台はJRになってからも長く使われた。

 

 

引用先 http://www.kanorail.com/EF65/EF65.htm

 

 

ef65 0番台は、JRになってからはほとんどの車両がJR貨物に移行して、貨物列車の先頭で長年活躍していましたが、なぜ?ef65 0番台がJRになっても長く使われたかというと、国鉄時代に作られた車両は頑丈な造りでありましたから、

 

そうした意味で見ていくと、ef65 0番台も車体の作りなどが頑丈でありましたし、あと、ef65 0番台の後継機の開発も遅れたということも影響していました。

 

 

そうしたこともあって、ef65 0番台はJR貨物でも比較的長く活躍した車両のひとつでした。

スカ色の謎:キハ52とキハ20系の関連性を検証してみた。

 

引用先 http://www12.plala.or.jp/dc52/dc52/dc52125.html


キハ52キハ20系の一員になりますから、それであればスカ色のキハ52は存在したのでしょうか?

 

 

 

 

 

キハ20系でも見られたスカ色はいつから存在していたのか?

 

 

 

 

引用先 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E3%81%8B%E3%81%A3%E8%89%B22%E5%8F%B7

 

 

晩年、キハ52が活躍した大糸線で見ることができたスカ色ですが、いつから存在していたのかというと、スカ色はすでに戦前から存在していましたが、今ではローカル線でも当たり前のように使われているディーゼルカーですが、戦前は燃料をガソリンを使っていたということで、ガソリンカーと呼ばれていた時代で、

 

戦前に作られたキハ41000型の後のキハ04系は完成した当初は茶色でしたが、その後、黄かっ色2号+青3号のスカ色に変わり、さらに1959年の9月からはたらこ色が、出るまで当たり前のように全国各地で見ることができたオレンジ色と肌色のツートンカラー
(クリーム色4号+朱色4号)の国鉄標準色に変わりました。

 

 

キハ20系でもバス窓と呼ばれた前期型の車両と1959年の9月より前の車両は、スカ色の時期もありました。

 

 

 

キハ52にはスカ色の車両は存在していなかった。

 

 

 


引用先 https://www.torepa21.com/html/c-dc20.htm#google_vignette

 

キハ52ですが、スカ色の車両はあったのか?なかったのか?というとスカ色のキハ52は存在していません。

 

なぜならキハ52は、完成した当初から国鉄標準色で落成していましたから、スカ色のキハ52が存在しないのも当然のことになりますが、キハ52の落成がまだスカ色のキハ20があった頃であれば、キハ52でも当初からスカ色の車両も存在していた可能性は十分にあり得ますし、逆に国鉄標準色が遅れればその分だけスカ色が長く続くということですから、その場合でもキハ52のスカ色があり得たということになりますが、この辺は本当に微妙な時間のずれでそうならなかったということになります。

 

 


キハ52にスカ色が不思議と似合うのはなぜか?

 

 

 

 

引用先 https://gohachinihachi1978.blog.ss-blog.jp/2022-01-06

 

晩年、大糸線で活躍したキハ52 125は、国鉄標準色のスカ色の車両となりましたが、ただ、足回りだけがグレーであるということ以外をのぞくと、不思議とスカ色が似合うというのですが、

 

その理由はキハ52キハ20系の一員でになりますから、この塗装を再現したJR西日本には見る目がありましたから、それくらいに自然となじんでしまったということになりますが、今もいすみ鉄道で使われているキハ52もスカ色で、活躍していた時代もありました。

 

失敗と成功を映すキハ52の歴史 寝台車の実証試験も行われていた。



引用先 https://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/52-db83.html

 


寝台列車といえば客車か電車で編成されたものでしたが、キハ52を使ってディーゼルカー寝台列車はできないかという実証実験も行われていました。

 

 


キハ52ディーゼルカーの寝台車両の実証実験に使われていた。

 

 


引用先 https://raillab.jp/photo/100604

 

国鉄時代の話になりますが、その当時の国鉄でもディーゼルカーによる寝台車両ができないかという実証実験を行ったというのですが、

 

なぜ?そのようなことを行ったのかというと、国鉄の主力となっている路線で運転されている寝台列車亜幹線などでも運転したいという狙いがありましたが、そうなるとどんな車両を作ったらいいのかということが検討がつかなったということで、

 

それであれば、ディーゼルカーを使ってみて実際に寝台車両を作ることができないかということを思いついたということでありました。

 

ということで早速、テストケースとして車両を作ってみることにしましたが、その際、ベースになったのがキハ52でありましたが、キハ52にはキハ20と比べて窓1個分だけ車体が長いということで、寝台車両の実証実験にもってこいの車両でありました。




キハ52の客室に作られた寝台はナハネ10と同じものだった。

 



引用先 http://silenceexpress.blog.jp/archives/6325698.html

 

キハ52で行われた寝台車両の実証試験ですが、どんなことを行ったかというと、実際にキハ52の客室の一部をナハネ10タイプと同じベットにしてみましたが、

 

ナハネ10は戦後になってやっと作ることができたB寝台車で、3段式になっていましたが、あの当時ですが夜行列車に連結されている寝台車は今でいうA寝台車、その当時は2等寝台車でありましたが、値段も高かったということもあり、もっぱら長距離の急行などを利用する際には、座席車を利用していましたが、それがB寝台車ができたということで、ナハネ10を連結した夜行の急行の切符が手に入りにくかったという話も残っています。

 

それと同じものを実際に作って、キハ52の車内の一部に乗せてみたということでした。

 


キハ52で行った寝台車両の実証実験の結果はどうだったのか?

 

 

引用先 https://blog.goo.ne.jp/aketetsu/e/fd2a3e1bd17d844952989b81c5658037

 

キハ52で行った寝台車両の実証試験ですが結果の方はというと、エンジンの支持方式はいい結果が出た一方で、エンジンなどの騒音などの問題が出てきましたから、


キハ52を使って行った寝台車両の実証実験は、失敗だったということになりますが、キハ52に使われているエンジンについてはキハ20と同じものでありましたから、それであればこのようなことになるのは明らかだったのではないでしょうか。

 

 

それでもその当時の国鉄の技術者の方達が、そうした実験を行っていましたから、そうしたことが後のトワイライトエクスプレス瑞風へと繋がっていったというのですから、決して無駄な努力でなかったということになります。

 

キハ52のカラーリングについて JR四国や九州でも塗装変更車があった。

 

 

 


引用先 https://raillab.jp/photo/100604

 

 

キハ52はJR四国や九州などでも活躍していましたが、これらの地域ではどんな色の車両があったのでしょうか。

 

 


キハ52がJR四国にもわずかながら存在してた。

 

 

引用先 http://www.yline-w.com/tnote/t/td52.html


キハ52ですが、以外にもJR四国にもありましたが、JR四国には3台のキハ52がありました。

 

そういうこともあってJR四国で使われたキハ52は、白と水色のカラーリングになりますから、それこそ国鉄時代から引き継いだ普通列車や急行で使われるディーゼルカーすべてが四国色となりましたが、わずかながらもJR四国にもキハ52がいました。



 

キハ52JR九州でも活躍していた。

 

 

 

引用先 http://www7a.biglobe.ne.jp/~dts/page231.html

 

キハ52が活躍した路線として南に位置するのが、JR九州になります。JR九州でもキハ52が活躍したその理由は、肥薩線などの山岳路線が存在していたということもありますから、両運転台で2エンジン搭載のディーゼルカーが必要でありましたが、

キハ52が活躍したエリアは、木次線のような急こう配などのある路線で活躍していましたから、そういう意味でもキハ52が九州で使われていてもおかしくないということになります。

 

JR九州で使われたキハ52は、白をベースにして青の帯を入れていたJR九州色ということでも知られていますが、これも今や過去形になりました。

 


南阿蘇鉄道にもJR九州から譲渡された車両もあった。

 

 



引用先 https://ameblo.jp/aonohara-untenjyo/entry-10950722164.html

 

あとJR以外で、キハ52を所有していたところはというと、高森線が第三セクターとして引き継いだ南阿蘇鉄道がありますが、南阿蘇鉄道キハ52MT2105へと形式も変更されましたが、あくまでも予備車ということで、なかなか運用に入ることがなかったという話もありますが、

 

 

キハ20は島原鉄道などにも譲渡されたということはありますが、キハ52が譲渡されたのは南阿蘇鉄道の一例だけとなりますが、キハ52は四国や九州でも活躍していた車両になりますから、これらの地域で使われていたキハ52も何らかの形でNゲージで製品化されないものでしょうか。